このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
メモ
走破記
筆者はこの地に2度も訪れているのにもかかわらず、実は未だに乗車していません。2回目にこの地に訪れた時にはすっかり綺麗に整備され、当初の雰囲気が失われておりがっかりした事だけを覚えています。そんな調子で2回目に来た時には一枚の写真も撮っていませんので、ここでは筆者が衝撃を受けた1回目の取材時の写真をご紹介させて頂きます。
なおこの紀州鉱山坑内電車は保存鉄道である事は勿論ですが、小口谷に位置する清流荘の宿泊客を、原泉である湯の口温泉の温泉場へ輸送する事を目的として必要部分のみ旅客化して営業しているものです。しかし、清流荘に宿泊せずにこの保存鉄道のみを利用する事も勿論可能です。
終点の湯の口温泉駅です。小口谷(清流荘)を出た列車はすぐにトンネルに入り約10分トンネルの中を走ります。そしてそのトンネル(写真奥)を抜けた所が湯の口温泉です。写真ではデルタ線になっているのが見えますが、手前の2線は使用されていません。なお、写真手前の左奥には湯の口温泉のバンガローが、写真奥の左奥には湯の口温泉の温泉場があります。
小口谷から湯の口温泉とは逆の方向に行きましょう。2枚目の写真に写っているトンネルを抜ける(勿論実際に抜ける事は出来ません)とすぐのところに位置する板屋です。選鉱所の跡地です。相当に大掛かりな施設で、様々な建物と引込み線の跡が複雑に入り組んでいました。
どうやって使うのか見当もつきませんが、山の斜面を切り崩した壮大な設備(選鉱所)です。写真には写ってませんが、この線のトロッコがそのまま登ってゆけるインクラインもありました。場所はこの山の向こうが小口谷(清流荘)になります。なお、2回目に来たときには板屋の設備は跡形もありませんでした。その後の’95年には、この地に紀和町鉱山資料館がオープンしたようです。
(’87年07月30日取材、未走破)
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |