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走破記
取材は阪神大震災直前の’94年。筆者は柴原まで走破して、その足でそのまま大阪空港までの3.1kmを歩いた。
線路は柴原から蛍池東4丁目南交差点までは幅広い道をひたすら直線に進む。そこら蛍池駅へは阪急の線路にすりよりながら進む。この付近は道無き道を進む区間が多く、その敷地にあたる建物の多くが取り壊されていた。この付近はモノレール建設反対の看板が多く目に付く。蛍池駅付近で大きなS字カーブを切ってパッと広いところに出たかと思うとそこが大阪空港。
開通後の’97年に走破の為、再度この地を訪れた。あっという間に千里中央から大阪空港まで移動できる利便性を実感した。しかし、歩いた時の印象には勝てず。
建設中の蛍池駅。
(この写真の拡大写真はありません。)
もろに軌道上になってしまう4階建ての建物。立ち退き交渉がまとまったのか、解体工事が開始されていた。
(この写真の拡大写真はありません。)
(’94年11月27日取材、’97年10月11日走破)
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