このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

100首里城

 

 首里城は14世紀末に創建されたといわれている沖縄県内最大規模の城(クグス)三山時代は中山国王の城として用いられていた。 
 大正14年(1925年)及び昭和8年(1933年)には首里城の正殿及び歓会門、守礼門などが国宝に指定されてたが、昭和20年(1945年)太平洋戦争末期の沖縄戦においてアメリカ軍の激しい攻撃により、首里城は破壊されてしまった。また戦後琉球大学が首里城跡に建設され、首里城の遺構はほぼ消滅してしまった。
 その後、首里城遺構の上に、アメリカ統治時代の昭和32年(1957年)に園比屋武御獄石門が復元されたのをはじめとして、以後、復元作業が続けられ、平成元年(1989年)から正殿の復元に着手、平成4年(1992年)にはほぼ復元が完了し公園として公開されることになった。なお、現在でも首里城の復元作業は行われている。。




守礼門正殿



園比屋武御獄石門歓会門瑞泉門
琉球石灰岩で造られた建造物、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所首里城の城郭内へ入る第一の正門第二の門で、別名「ひかわ御門ともいう。


広福門首里森御嶽奉神門
「広福」とは、「福を行き渡らせる」という意味。1992年(平成4)に復元された。「すいむいうたき」
城壁の手前にある礼拝所 
「神をうやまう門」という意味で、正殿のある「御庭」へ入る最後の門である。


正殿正殿内部正殿内部
首里城で最も中心的な建物。木造三階建。平成4年に復元したものである。


正殿内部右掖門久慶門
別名「寄内御門」ともいい、平成12年に櫓が復元された。歓会門が正門であるのに対し、通用門で主に女性が利用したといわれている。


円覚寺門木曳門



金城町の石畳道

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