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100 | 首里城 |
首里城は14世紀末に創建されたといわれている沖縄県内最大規模の城(クグス)三山時代は中山国王の城として用いられていた。
大正14年(1925年)及び昭和8年(1933年)には首里城の正殿及び歓会門、守礼門などが国宝に指定されてたが、昭和20年(1945年)太平洋戦争末期の沖縄戦においてアメリカ軍の激しい攻撃により、首里城は破壊されてしまった。また戦後琉球大学が首里城跡に建設され、首里城の遺構はほぼ消滅してしまった。
その後、首里城遺構の上に、アメリカ統治時代の昭和32年(1957年)に園比屋武御獄石門が復元されたのをはじめとして、以後、復元作業が続けられ、平成元年(1989年)から正殿の復元に着手、平成4年(1992年)にはほぼ復元が完了し公園として公開されることになった。なお、現在でも首里城の復元作業は行われている。。
守礼門 | 正殿 |
園比屋武御獄石門 | 歓会門 | 瑞泉門 | ||
琉球石灰岩で造られた建造物、国王が外出するときに安全祈願をした礼拝所 | 首里城の城郭内へ入る第一の正門 | 第二の門で、別名「ひかわ御門ともいう。 | ||
広福門 | 首里森御嶽 | 奉神門 | ||
「広福」とは、「福を行き渡らせる」という意味。1992年(平成4)に復元された。 | 「すいむいうたき」 城壁の手前にある礼拝所 | 「神をうやまう門」という意味で、正殿のある「御庭」へ入る最後の門である。 | ||
正殿 | 正殿内部 | 正殿内部 | ||
首里城で最も中心的な建物。木造三階建。平成4年に復元したものである。 | ||||
正殿内部 | 右掖門 | 久慶門 | ||
別名「寄内御門」ともいい、平成12年に櫓が復元された。 | 歓会門が正門であるのに対し、通用門で主に女性が利用したといわれている。 | |||
円覚寺門 | 木曳門 | |||
金城町の石畳道 | ||||
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