このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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日本100名城、22番八王子城登城。
1587年(天正15年)頃、北条3代目の北條氏康の三男の氏照が築城し、本拠とした。氏照は当初は滝山城を本拠としていたが、1569年に甲斐の武田信玄攻められ、滝山城では心もとないとじた氏照は、石垣で固めた山城構築を行い、本拠を滝山城から八王子城へ移したという。
1590年(天正18年)6月23日、豊臣秀吉の軍勢、上杉・前田・真田等の兵およそ1万5千に攻められ、1日で落城した。当時、城主の氏照以下家臣は小田原本城に籠城しており、八王子城内には、城代の横地監物吉信をはじめ 家臣の狩野主善一庵、中山勘解由家範、近藤出羽守綱秀らのわずかの将兵と、領内から動員した農民・婦女子を主とする領民を加えたほんの数千の人数しか城内に立て籠ったに過ぎなかった。豊臣の軍勢は力攻めによる殲滅作戦を展開、城内の婦女子は自刃し、御主殿の滝に身を投げ、滝は3日3晩、血に染まったと言い伝えられている。
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八王子城跡の碑 |
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八王子城の石垣(当時の石を使って再建されたそうです・中には当時のままの石垣もあるとのことです) |
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御主殿跡 |
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| | 御主殿木戸門 | | |
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八王子城本丸への上り口 | | 北条氏照公墓 | | 北条氏照公墓 |
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