このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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日本100名城 32番春日山城登城 平成19年11月5日登城
春日山城は、室町時代初期に越後守護の上杉氏が、要害として築いたのに始まるとされている。 戦国期に、守護代長尾為景が実権を握り、春日山城を本拠として領内を統治した。
長尾為景の死後、長子の晴景が嗣いだが病弱で国が治まらず乱れることとなり、守護上杉定実の斡旋で、天文17年(1548)に僧籍にあった19歳の末子である長尾景虎(のちの上杉謙信)が還俗して春日山城に入り長尾家を相続した。謙信は城の強化に努め、 整備された春日山城は、戦国第一の山城と呼ばれるのにふさわしい姿となった。
上杉謙信は、天正6年(1578)3月13日、49歳の波乱の生涯を、春日山城において閉じた。謙信には実子がなく、跡継ぎをめぐって、養子の景勝(謙信姉の子)と景虎(北条氏康の子氏秀)が争うことなった(御館の乱)。春日山城を押さえた景勝が、御館に拠る景虎を滅ぼして後継者となった。
その後時代は豊臣の時代となり、慶長3年(1598)に豊臣秀吉の命で景勝は奥州会津に転封され、跡には堀秀治が封じられ慶長12年、府内の関川東岸に近世式石垣の城、福島城を築いて移り、春日山城は廃城となった。
春日山城は春日山神社の所まで車で入り、その後は山城なので、ハイキング並みに歩くことになります。道は整備されていて階段状になっていて歩きやすいです。
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上杉謙信像 | | 春日山城址 |
上越市の城 高田城跡・福島城跡
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