このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

57篠山城

 日本100名城 57番竹田城登城 平成20年7月26日 篠山城に登城してきました。昭和19年に失火により焼失した大書院が平成11年に復元。本丸、二の丸、三の丸からなる平山城石垣と堀がよく残り、馬出がほぼ原形をとどめている。


 1609年(慶長14年)徳川家康は、松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、新城の築城を命じた。藤堂高虎が縄張を担当した。普請総奉行を池田輝政が務め、篠山盆地中心部の丘陵である笹山に天下普請により6か月で完成した。 築城当初より天守台はあるが天守は建設されなかった。山陰道の要衝である篠山盆地に城を築くことによって、西国諸大名のおさえとするのが目的であったとされる。 以後、松平三家八代、青山家六代の居城として明治を迎えた

 




再建された大書院



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