このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

58明石城

 日本100名城 58番明石城登城 JR明石駅の北側の県立明石公園の中に、2棟の櫓と城壁がっ建っています。公園の中に石垣と櫓と城壁の一部があります。櫓は、巽櫓(たつみやぐら、南東側)と坤櫓(ひつじさるやぐら、南西側)が現存し国の重要文化財に指定されている。


 1617年信州松本城主より明石藩主となった小笠原忠真は、船上城に入城したが、二代将軍徳川秀忠より築城命令がおり、明石城が着工された。
 1619年に概ね完成した。このとき天守閣は、台石まで積まれたが、建てられなかった。その後明石城主は、 松平(戸田)康直、1639年に大久保忠職、1649年に松平(藤井)忠国、1679年に本多政利、1682年よりは越前家の松平直明が6万石で入城し、以後、明治維新まで松平氏の居城となった。

 



坤櫓(ひつじさるやぐら)

巽櫓

天守閣が造られなかった明石城では最大の規模をもつ櫓。
天守台のすぐ南にあり、天守閣に変わる役割を果たしたと
みられる。
桁行6間(10.90m)、梁間5間(9.09m)、高さ7間2尺9寸(13.60m)、
の入り母屋づくりで、妻部を南北に向け、棟の方向が巽櫓と
まったく異なっている。

本丸の南東端に築かれた三層の櫓。桁行き5間(9.09m)、
梁間4間(7.27m)、高さ7間1寸(12.19m)の隅櫓で、妻部を
東西に置く入り母屋づくり。

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