このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

77高松城

 日本100名城 77番高松城登城 平成20年7月24日 高松城に登城してきました。高松城跡は玉藻公園としてきれいに保存されています。 城の北側は海に面し、残り三方の堀には海水を引き入れた日本三大水城の一つです。潮の干満による水位調整のための水門があります。
 現在、天守閣の復元のための、調査・工事がおこなわれています。


 天正15年(1587年)、豊臣秀吉より讃岐国主に封ぜられた生駒親正が播磨赤穂から入封し、高松城を築いた。瀬戸内の海水を堀に引き込んだ構造で、日本の三大水城の一つと呼ばれています。
 生駒氏は寛永17年に4代高俊の時、生駒騒動のために出羽矢島1万石に転封となり、寛永19年に松平頼重(水戸城主徳川光圀の兄)が常陸下館より東讃岐12万石で入封した。 頼重は、生駒氏時代の高松城を更に拡張し、2代頼常(光圀の子、頼重養子)まで工事は続いた。 その後最後の城主11代頼聡まで高松城主を務めた。
 高松城は松平頼重を初代として、代々西国大名の監視と瀬戸内海の要としての役目を担い、高松松平氏11代の居城として明治維新を迎える。

 



月見櫓艮櫓

旭橋・旭門桜御門跡

披雲閣





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください