このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

82大洲城

日本100名城 82番大洲城登城 平成20年7月21日 大洲城に登城してきました。

 大洲城の高さ19.15m4層4階の天守は、平成16年)に木造で復元されたものです。重要文化財の台所櫓、高欄櫓と復元された多聞櫓で連結し、複連結式天守と呼ばれる構えをしています。
しいます。 


 大洲城は、鎌倉時代末期、伊予国の守護宇都宮豊房が元徳3年(1331年)に築いた地蔵ヶ岳城が始まりといわれています。

 天正13年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐に伴い、小早川隆景によって伊予は豊臣秀吉の傘下に入った。小早川隆景が35万石で伊予に入封し、伊予の大洲城は一支城の扱いとなった。
 小早川隆景の後戸田勝隆が城主として入り、さらに文禄4年(1595年)に藤堂高虎が入城すし近世の城郭として整備された。慶長14年(1609年)に脇坂安治が入城し、この時代に天守をはじめとする建造物が造営された。
 元和3年(1617)米子から加藤貞泰が入城しました。以後、明治維新を迎えるまで加藤氏が12代が6万石の城主としてこの地を治めました。

 




大洲城外観













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