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83宇和島城

日本100名城 83番宇和島城登城 平成20年7月21日 宇和島城に登城してきました。

 三重三層の天守閣を頂く宇和島城は、梯郭式平山城で別名鶴島城と呼ばれています。
 築城以来約400年の歳月を経ており、現存十二天守と呼ばれるものの一つす。江戸時代様式を留める天守閣で、国の重要文化財に指定。


 嘉禎2年(1236)に、西園寺公経の支配下となり、宇和島に支城が置かれていた。天正13年(1585)には豊臣秀吉が四国討伐の結果、伊予は小早川隆景の所領となり、宇和島には、城代として小早川隆景家臣の持田右京が置かれた。
 天正15年(1587年)小早川隆景は筑前に移り、大洲城に戸田勝隆が入り、宇和島も戸田勝隆の所領となり城代に家臣の戸田与左衛門が置かれた。
 文禄4年(1595)に藤堂高虎が宇和郡七万石に封ぜられ、その宇和島城の築城を行った。当時の宇和島城は標高八十メートルほどの山の頂上に本丸を築いた平山城でもあっり、外郭の約半分が海に接し、残りは堀に守られていた。。
 慶長13年(1608)藤堂高虎が今治に転封、富田信高が入城したものの、慶長18年(1613)に改易となり、幕府の直轄地となり、今治の藤堂高虎が幕府より管理を命じられ、藤堂良勝を城代として置いた。
 元和元年(1615)伊達政宗の長男である伊達秀宗が10万石で入城。2代伊達宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成。現存する天守閣である。
 宇和島伊達家は、明治維新までこの地を動くことはなかった。

 




宇和島城外観


天守閣桑折氏武家長屋門

天守閣への石段天守石垣














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