このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

小田原城址公園



今の小田原城址の大部分は、江戸期大久保氏時代に造営されたものです。
関東の城にしては珍しく、総石垣造りの城です。
徳川家康の駿府城のように、二代将軍徳川秀忠の隠居城とする考えもあったともいわれています。

大政奉還後、明治5年にかけて、城内の建造物はほとんど取り壊され、明治34年、城内に小田原御用邸が建てられました。しかし関東大震災により、御用邸は大破し、その後廃止されました。
石垣も大部分崩壊したため、再び積み直されているものの、本来よりも低い石垣となってしまっています。震災で倒壊した二の丸平櫓が隅櫓として復興されたが、規模はかつての半分となってしまいました。

その後、小田原城址は小田原城址公園として整備され、鉄筋コンクリート製の復興天守が昭和35年に再建されていいます。昭和46年に常磐木門(ときわぎもん)、平成9年に銅門(あかがねもん)を復元されています。

平成21年3月に馬出門が復元されて、当時の様子が再現されてきています。
















学橋を渡って天守閣に

二の丸隅櫓お堀

桜の花びらが浮かぶ堀学橋学橋と桜

二の丸広場本丸への橋常盤木門

本丸の塀天守閣


銅門近辺




これ以外の城址公園内

崩れた石垣

塀の復元説明児童公園



  

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください