松山城は近世には珍しい山城です。本丸は勝山山頂に築かれ、ふもとに二の丸・三の丸があります。
1602年に加藤義明により松山平野の中心にあった勝山に築かれたお城です。その後、松平氏が城主となり創建当初の五重の天守を三重に改築しました。しかし、この天守は1784年の落雷により天守曲輪の主な建物と一緒に焼失しました。1853年にようやく天守が再建されこれが現在も残っている天守です。
天守曲輪である「本壇」を形成する建物のうち、大天守、一の門南櫓、二の門南櫓、三の門南櫓以外は昭和43年に復元されたものです。
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大天守と天守外曲輪
天神櫓・艮門東続櫓は建物がない
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大天守と南櫓・小天守(左)
一の門南櫓・二の門南櫓(右)
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大天守と天守内曲輪
左から内門渡櫓、玄関多聞櫓、北櫓、十間廊下多聞櫓
南櫓、南多聞櫓、小天守、筋鉄門渡櫓の連立式天守
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