このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

遊園昔話「舞鶴松のお話」  〜向ヶ丘遊園小史より


遊園の中心からみて東の丘の上に、巨大な松の古木
がありました。

昭和35年の秋、松喰虫の被害がひどくなって伐採されて
しまいましたが、当時で樹齢160年、枝下6.3m、幹の
太さ最大3.5m、高さ20mと大変立派なものでした。

鶴が翼を広げたように見えるので、小田急初代社長の
利光鶴松翁が「舞鶴松」命名しました。

この近くで茶屋を経営していた鈴木喜之助氏は、屋号を
「舞鶴屋」としました。
その二代目の鈴木嶋吉氏は、この松について高等科2年
のときの日記に次のように記しています。


   ******* 昭和11年4月12日(金)晴  *******
人出少ない。
昼時の12時半頃、舞鶴松の上空に鶴が約15分ぐらい、
ぐるぐるまわった。
父、母がとても喜んで、縁起ものだ、めでたい、めでた
いと言っていた。
園内の人に放送で知らせた。



鈴木嶋吉氏は、このときの思い出を
「父母の話によると、二羽の鶴がぐるぐる回ってから舞鶴松
の上で翼を休め、そのあと東に向かって飛んでいった。
縁起ものと大変喜んだ父母は、折に触れ力を入れて話をして
いた。
父母にとっては、家のそばで鶴を見たという驚きと、屋号に
ちなんで縁起がいいということを子供や知人たちに話して、
後世に伝えておきたかったのだろう。
この話をする度に父母はいつも、めでたい、めでたいと言って
話を結んでいた」
                          と語っています。

もし、舞鶴松が今でも元気だったら、どの位置にあった
のでしょうか?

最後まで、園内で営業を営まれておられた、
「舞鶴屋」さん。
その創業者・鈴木喜之助氏のご親族の方に教えていた
だきました(下の園内図をご覧ください)。

「場所は、不思議な森の大冒険の屋根くらいから生えて
いたな。
当時はまだその部分が山になっててな、そこに舞鶴松が
あったんだよ。
後に舞鶴松が姿を消した後、プレーランドを作るために山
は削られちゃってよー、今の平地の高さになったのさ。
赤○の場所だよ」

下の写真は、山が削られた後の、昭和38年頃の写真です

私なりに、「舞鶴松」を復活させて見ました!

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