このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
一茶の句碑
湯田中温泉「梅翁寺」
子ども等が雪喰ひながら湯治哉
湯田中温泉の梅翁寺の前に一茶の句碑がある。
子ども等が雪喰ひながら湯治哉
脇に句碑の説明が書いてあった。
一茶句碑
昭和54年11月19日建立
宝暦13年(1763年)5月5日信州柏原に生まれた小林一茶(幼名弥太郎)は15才にして江戸に出る。文化9年(1812年)50才になって帰郷し、これより文政10年(1827年)65才で亡くなるまで湯田中温泉を訪れ、多くの俳句を残している。文政5年“温泉の記”の中で当地の情景を次のようにしるしている。
貧しきものゝ子をやしなふには、湯のわく所にしくはあらじ。夜のほのぼの明て、烏の声と等しくがば(と)起て、十ばかりなる児の頭として、兄は弟を負ひ、姉は妹を抱きつゝ、素足にて門を出れば、それに引つゞきて迹からも其迹からも走り走りて、湯桁にとび入りつゝ、今玄冬素雪のころさへ丸裸にて狂ひ育ちにそだつ物から、おのづから病なく、ふとくたくましく見ゆ。さるから其親其親の衣着せる思ひもうすかるべし
子ども等が雪喰ひながら湯治哉 一茶
梅翁寺には「一茶乾漆像」があるそうだ。
一茶の句碑
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