このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

一茶の句碑

湯田中温泉共同浴場「湯田中大湯」


雪ちるやわき捨てある湯のけぶり

湯田中温泉 「よろづや」 の隣に共同浴場「湯田中大湯」がある。


共同浴場「湯田中大湯」の前に一茶の句碑がある。


雪ちるやわき捨てある湯のけぶり

句碑の説明が書いてあった。

一茶句碑

昭和54年11月19日建立

 信州が生んだ俳人小林一茶(1763〜1827)は、当地に一茶の門人であり俳諧を学び有力な後援者であった温泉宿の主人湯本希杖・其秋父子がいたので、豊かな温泉の湧く湯田中温泉をしばしば訪ね、滞在すること152日にもおよんでいる。文政5年(1822年)のこと、温泉がもったいなく流れている情景を見て、“温泉の記”に次のようにしるしている。

 田中河原といふ所は、田のくろ(畔の意)あるいは石の陰よりめでたき湯の福々と出でて、ただいたづらに流れ散りぬ。あはれ、此のもの1つなりとも常の村里にふと湧きたらんには、地獄に仏おがむよりまさりて、よろこばしからむを(喜ぶものを)此の里人は、さらに湯ともいはざりけり。

雪ちるやわき捨てある湯のけぶり   一茶

碑が建てられた11月19日は一茶忌。

この句の碑は、湯田中温泉の白銀屋菓子店にもある。


雪ちるやわき捨てある湯のけぶり   一茶

  「湯本希杖・其秋父子」 は共同浴場「湯田中大湯」の前の「一茶ゆかりの宿湯田中湯本」の主人であった。

一茶ゆかりの宿湯田中湯本


一茶の句碑 に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください