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私の旅日記2009年

善知鳥神社〜芭蕉の句碑〜
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青森市安方に 善知鳥(うとう)神社 (HP)がある。


善知鳥神社


善知鳥(うとう)はウミスズメ科の海鳥だそうだ。

西行 も歌を詠んでいると伝えられる。

子を思う涙の雨の笠の上にかかるもわびしやすかたの鳥

 善知鳥という鳥は、親が「うとう」というと、小鳥が「やすかた」とこたえるという言い伝えがあるそうだ。

芭蕉も「善知鳥啼」外が浜から北海道まで見たかったようである。

猶善知鳥啼卒都の浜辺より、蝦夷が千島を見やらんまでとしきりに思ひ立侍るを、同行曽良何某といふもの、多病心もとなしなど、袖を控ゆるに心弱りて今年湖水のほとりに漂ふ。

「幻住庵記」草稿

芭蕉の句碑があった。


名月や鶴脛高き遠干潟

出典は 『もとの水』 (重厚撰)。

  俳諧一葉集』『芭蕉翁句解参考』 に収録されているが、 存疑 の句とされる。

文化9年(1812年)3月12日、建立。

菅江真澄の歌碑があった。


   寛政8年正月元日
のどけしなそとがはまかぜ鳥すらも世をやすかたとうとう声して

   同 2月19日
うちなびくたむけのぬさもふりはへてこうごうしくも見ゆるみず垣

菅江真澄 は3度青森を訪れているそうだ。

 天明5年(1785年)8月、蝦夷へ渡るため青森を訪れたが、大飢饉のため引き返した。

 天明8年(1788年)7月、青森、 三厩 から蝦夷地へ渡った。この時、鳥頭神社(善知鳥神社)に詣でている。

 寛政8年(1796年)、青森に20余日滞在。

龍神宮


黄葉が美しい。

 明治15年(1882年)10月5日、 森鴎外 は善知鳥神社に参詣しているそうだ。

 明治40年(1907年)1月25日、河東碧梧桐は青森市中を散歩して善知鳥神社へ。

 一月二十五日。半晴。

 午後青森へ行って山梔子、秋来二子の案内で市中を散歩した。善知鳥神社がある。安方町がある。謡曲「善知鳥」を思い出さざるを得ぬ。

(陸奥浅虫にて)


 昭和20年(1945年)7月、社殿は空襲で焼ける。

 昭和29年(1954年)、 富安風生 は善知鳥神社を参拝し、社務所で増田手古奈らと句会。

柾を葺く仮宮かなし小町草

『古稀春風』

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