このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

太宰治ゆかりの地

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汝を愛し汝を憎む

五所川原市金木町朝日山に雲祥寺という寺がある。


雲祥寺鐘楼門


土地の記憶 まちの記録

ここは金木山雲祥寺

 3、4歳の頃タケに連れられて来た太宰治は地獄極楽の掛け軸に興味を持ち「これ何だ、これ何だ」と何回も聞いたそうです。また卒塔婆についている鉄の輪を面白がって廻したということです。太宰治は、このお寺を『思ひ出』に紹介しています。

 終戦後の20年、金木文化会が発足し、疎開中の太宰も積極的に参加していたという。

NPO法人 かなぎ元気倶楽部

『金木文化』に贈る言葉

汝を愛し汝を憎む



 終戦後間もなく雲祥寺を会場として「金木文化会」が発会しました。太宰治は記念講演を行い、機関誌『金木文化』創刊号に、この言葉を寄せました。代表作『津軽』にもある、故郷に贈る太宰の言葉です。

 この鉄の輪は「後生車」と言い、幼い太宰が日が暮れるまで回したと『思ひ出』で述懐しています。

平成20年(2008年)9月5日、除幕。

 そのお寺の裏は小高い墓地になつてゐて、山吹かなにかの生垣に沿うてたくさんの卒堵婆が林のやうに立つてゐた。卒堵婆には、滿月ほどの大きさで車のやうな黒い鐵の輪のついてゐるのがあつて、その輪をからからして、やがて、そのまま止つてじつと動かないならそのした人は極樂へ行き、一旦とまりさうになつてから、又からんと逆にれば地獄へ落ちる、とたけは言つた。たけがすと、いい音をたててひとしきりつて、かならずひつそりと止るのだけれど、私がすと後戻りすることがたまたまあるのだ。秋のころと記憶するが、私がひとりでお寺へ行つてその金輪のどれをして見ても皆言ひ合せたやうにからんからんと逆りした日があつたのである。私は破れかけるかんしやくだまを抑へつつ何十囘となく執拗にしつづけた。日が暮れかけて來たので、私は絶望してその墓地から立ち去つた。

『思ひ出』

平成21年(2009年)は生誕100周年。

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