このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

太田道灌ゆかりの地

太田道灌公像

川越市元町1丁目に川越市役所がある。


川越市役所は川越城大手門跡にある。

川越市役所の前に太田道灌の像があった。


太田道灌公像

川越は、古代から、この地方の文化の中心であった。長禄元年(西暦1457年)に太田氏が川越城を築き、更に 江戸城 を築いて川越の文化を江戸に移したので、川越は江戸の母と呼ばれた。明治以降も引き続き埼玉県第一の都府として、大正11年他に魁けて市制を施行した。ここに市制50周年を迎えるに当り市庁舎を新築し、川越市開府の始祖とも仰ぐ太田道灌公の銅像を建て、古き歴史を偲びつつ新しき未来を開こうとするものである。

   昭和47年9月吉日

 ちなみに浦和の市制施行は昭和9年(1934年)。埼玉県内では川越市、熊谷市、川口市に次いで4番目で、全都道府県庁所在地で最も遅い市制施行だそうだ。

 平成13年(2001年)5月1日、浦和市は大宮市・与野市と合併し、さいたま市となった。

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