このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

北原白秋文学碑


城ヶ島〜北原白秋先生記念碑

国道134号から城ヶ島大橋を渡り、城ヶ島へ。


昭和35年(1960年)4月、城ヶ島大橋完成。通行料金は100円。

城ヶ島と言えば、北原白秋の「城ヶ島の雨」。

城ヶ島大橋の下に詩碑がある。


雨はふるふる
  城ヶ島の磯に
 利休鼠の
   雨がふる

昭和16年(1941年)7月、白秋揮毫。昭和24年(1949年)7月10日、建立。

 帆型の根府川石で、白秋が生前希望した「帆型の石が荒磯に突き差したように」建てられた。

碑が建てられた時は、城ヶ島大橋は無かった。

渡し舟で碑を見にいったわけである。

詳しい説明が書いてあった。

 大正2年5月、白秋は家族とともに東京から三崎に移り、向ヶ崎に新居を構えました。ときに白秋27才の春でした。

 これは、世にいう「桐の花事件」による挫折、傷心から再起をはかるにあたり、この三崎の地が白秋の心を深くとらえていたからでした。そして、白秋は三崎を訪れた数多い詩人の誰よりも三崎を愛し、なつかしんだ人でもありました。それは翌年大正3年3月まで十ケ月ほどの三崎時代でしたが、この間詩、歌、『雲母集』、『真珠抄』、『白金独楽(はっきんのこま)』のほか多くの作品が残されていることでもわかります。

 「桐の花事件」とは白秋が隣家の人妻松下俊子と関係を持ち、明治45年(1912年)7月5日、夫の松下長平から姦通罪で告訴された事件である。

Ⅰ 哀傷篇序歌

ひとすぢの香の煙のふたいろにうちなびきつつなげくわが恋

あだごころ君をたのみて身を滅(おと)す媚薬の風に吹かれけるかな

『桐の花』

翌6日、白秋は俊子とともに逮捕され、市ヶ谷の未決監に拘留される。

Ⅱ 哀傷篇

   悲しき日苦しき日7月6日

鳴きほれて逃ぐるすべさへ知らぬ鳥その鳥のごと捕へられにけり

『桐の花』

 このように三浦三崎は、市内各所に青年白秋のあしあとのしるしがあり、まさに白秋詩魂のふるさとということができます。

 「城ヶ島の雨」、大正2年若き音楽家中山晋平、梁田貞をはじめ音楽学校生徒等による日本の新しい音楽の時代をひらく活動に参加するためのものであります。

 白秋は舟唄として「城ヶ島の雨」を作詩し、これに梁田貞が作曲してできたものです。

 この詩碑は、白秋の筆跡を彫り、昭和24年7月、ここから50メートル東の磯に建てられ、のち現在地に移りました。

白秋記念館がある。

入場は無料。

見桃寺 へ。

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