このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

石田波郷の句碑


秋いくとせ石鎚を見ず母を見ず

垣生中学校 から垣生小学校へ。

大正8年(1919年)4月、石田波郷は垣生尋常高等小学校に入学。

垣生小学校に石田波郷の句碑があった。


秋いくとせ石鎚を見ず母を見ず

 昭和36年(1961年)10月、母危篤の報に接した波郷が帰省途上の予讃線の車中で詠んだという。

 昭和44年(1969年)11月21日、結核のため56歳で死去。

 昭和46年(1971年)4月、旧友知人有志一同句碑建立。

石田波郷は、わが西垣生の里に生いたち、若くして上京、俳句の研究と句作に精魂を打ちこみ、病と闘いつつこの道ひとすじに生きて、昭和俳壇に不滅の光を放った。永くその偉業を称えるとともに後進の奮起精進の指針としてこの碑を建つ。

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