このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

高村光太郎ゆかりの地

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穂高〜碌山美術館〜

松本から国道147号で大糸線に沿って穂高に向かう。


大糸線穂高駅の近くに 碌山美術館(HP) がある。

碌山美術館の庭に彫刻「労働者」がある。


ロダンの「考える人」を模して創ったそうだ。

高村光太郎 は荻原守衛の親友であったという。

 その関係で碌山美術館には高村光太郎の彫刻「手」(1918年作)が展示されている。

 荻原碌山は明治12年12月1日、長野県南安曇郡東穂高村に生まれた。本名は守衛。

 高村光太郎は明治16年(1883年)生まれだから、碌山の4歳年下ということになる。

明治34年(1901年)、碌山は22才で渡米。

明治39年(1906年)2月27日、光太郎がニューヨークに着く。

碌山は光太郎を訪ねる。

 明治40年(1907年)6月19日、光太郎はニューヨークを発ち、ロンドンに向かう。

碌山は7月、ロンドンに旅行し、滞在中の光太郎と美術館めぐりをする。

 明治43年(1910年)4月20日、碌山は新宿中村屋で吐血。22日、永眠。満30歳5ヶ月。

碌山は光太郎の彫刻「手」を見ていない。

碌山美術館のお土産に智恵子の切り絵を買った。

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