このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大野伴睦ゆかりの地



大野伴睦先生御夫妻之像

東海道新幹線岐阜羽島駅に大野伴睦の銅像を見に行くことにした。


昭和39年(1964年)10月1日、岐阜羽島駅開業。

岐阜羽島駅北口の小公園に大野伴睦先生御夫妻之像があった。


大野伴睦先生御夫妻之像

従2位勲1等大野伴睦翁は岐阜県山県郡美山村の出身。岐阜県が生んだ一大偉人である。大正14年、東京市会議員に当選、政界に入る端緒となり、国会議員30年、其間国務大臣、衆議院議長に亦自民党副総裁に挙げらるゝこと連続7期に及び、昭和39年5月29日、74歳を以て惜しくも永眠された。翁の功績は特に我が國の国際的地位を高める一方国民全体の福利推進を心とし、中部横断運河の提唱を始め、全國各地域の開発に寄与し、就中木曽・長良・揖斐の3大川の架橋並びに治水、道路の整備等、殊に岐阜県の玄関として東海道新幹線岐阜羽島駅を實現し、岐阜県並びに羽島市の發展の基盤を確立された。茲に仝志相計り、翁御夫妻の銅像を建て、後世に伝えることとした。

   昭和39年12月

日の本の政に明け暮れ七十年
   万木

人の世は伴に睦みて花も実も
   西隆

大野伴睦は岐阜羽島駅の開業を見られなかったわけである。

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