このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

伊藤左千夫ゆかりの地
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「野菊のような人」の碑

矢切の渡し から「野菊のこみち」が続く。


坂川の矢切橋に「野菊のような人」の碑があった。


野菊のような人

「……まア綺麗な野菊、政夫さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうに野菊が好き」

「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」

「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好このもしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」

「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」

 民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。

 松戸の矢切を舞台とし、「清純な愛の美しさ」を描いた伊藤左千夫の小説『野菊の墓』は明治39年(1906年)1月『ホトトギス』に発表され評判となり、そのごも多くの版が重ねられ映画化もされております。

 作品が発表されてから100年を記念し、松戸東ライオンズクラブCN25周年(発足25周年)にあたり、この文学碑を設置します。

2007年5月吉日
松戸東ライオンズクラブ

 ちなみに『吾輩は猫である』は明治38年(1905年)1月、『ホトトギス』に発表され、翌年8月まで継続した。

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