このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

石川啄木ゆかりの地


啄木の父石川一禎終焉の地

よく怒(いか)る人にてありしわが父の
日ごろ怒らず
怒れと思ふ

高知龍馬空港からリムジンバスで高知駅前下車。

高知駅に向かうと、「啄木の父石川一禎終焉の地」碑があった。


よく怒(いか)る人にてありしわが父の
日ごろ怒らず
怒れと思ふ
 啄木

寒けれど衣かるべき方もなし
かゝり小舟に旅ねせし夜は
 一禎

 平成21年(2009年)9月12日、啄木の父石川一禎終焉の地に歌碑を建てる会建立。

 啄木の父石川一禎は嘉永3年(1850年)岩手県に生まれた。渋民村の宝徳寺住職を失職、一家は離散、次女とらの夫山本千三郎が神戸鉄道局高知出張所長として1925年に赴任し、一禎も高知に移住した。穏やかな晩年を過ごし、1927年2月20日に所長官舎(北東約100m)で76歳の生涯を閉じた。3850余首の歌稿「みだれ蘆」を残し、啄木の文学にも影響を与えた。

啄木の歌は 『一握の砂』 収録の歌である。

全く意外であった。

啄木の父石川一禎が歌を詠んだことも知らなかった。

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