このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

島崎藤村ゆかりの地

indexにもどる

『破戒』の文学碑

長野市豊野町豊野にJR飯山線豊野駅がある。


豊野駅北口に『破戒』の文学碑があった。


 軈て発車を報せる鈴の音が鳴つた。乗客はいづれも埒(らち)の中へと急いだ。盛な黒烟(くろけぶり)を揚げて直江津の方角から上つて来た列車は豊野停車場(ステーション)の前で停つた。高柳は逸早(いちはや)く群集(ひとごみ)の中を擦抜(すりぬ)けて、一室の扉(と)を開けて入る。丑松はまた機関車近邇(より)の一室を択(えら)んで乗つた。思はず其処に腰掛けて居た一人の紳士と顔を見合せた時は、あまりの奇遇に胸を打たれたのである。

『やあ——猪子先生。』

 と丑松は帽子を脱いで挨拶した。紳士も、意外な処で、といふ驚喜した顔付。

碑陰に説明があった。

 文豪島崎藤村は明治34年(1899年)4月、28歳のとき旧師木村熊二の招きで 小諸義塾 の教師として北佐久郡小諸町(現小諸市)へ赴き、明治38年(1905年)4月まで6年間住んだ。この間に詩から散文に転じ、日本自然主義の記念碑的作品『破戒』の稿を起こした。

 藤村は明治34〜6年のある秋と明治37年1月に 飯山 を訪ねたこと『千曲川のスケッチ』に書かれている。いずれも豊野停車場で下車し、蟹沢船場まで歩き、そこから川船で千曲川を下っている。『破戒』第7章・第12章に描かれている明治の豊野停車場の姿は、このときの見聞にもとづいたものである。ここに刻まれた碑文は、『破戒』第7章のなかの描写の一部である。文字は北野美術館秘蔵の藤村自筆稿『破戒』から採った。

長野県国語国文学会長 東 栄蔵撰
昭和63年(1988年)9月23日
豊     野     町
豊野町教育委員会 建立

 平成17年(2005年)1月1日、豊野町は戸隠村、鬼無里村、大岡村とともに長野市へ編入合併。

島崎藤村ゆかりの地 に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください