このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
野口雨情ゆかりの地
〜御手洗〜
呉市豊町御手洗に野口雨情の歌碑があった。
来いといふなら観音崎の
汐は荒くも越してゆく
御手洗ぶし
安芸国御手洗は、江戸時代初期、沖乗り航路の開発にともない、風待ち、汐待ちの港として全国からの廻船が寄港し、繁栄を極めた港町であった。オランダ商館員や、琉球施設も茶屋に遊び、多くの文人墨客も足を留め、豊かな商人文化の花咲く町であった。
表記の歌詞は、野口雨情作詞、藤井清水作曲の『御手洗ぶし』10節の1つである。
雨情は鞆田町長の招きに応じ、昭和11年8月16日より4日間滞在、鞆田別邸から月を眺め、或は船を浮かべるなどして、詩想こらして作詞された。
来いといふなら観音崎の ヨウ トコサ 汐は マタ エッサラサ
汐は荒くも ヨウソロ 越してゆく
囃 関前灘なら波が立つ ひょんの木は滅多に見られない
毎年7月の夏祭には、若者のかつぐ櫓が、威勢よく町中を練り廻り、太鼓や三味線の調にのせて、この歌が港中に響きわたるのである。
御手洗港
野口雨情ゆかりの地
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