このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

野口雨情ゆかりの地


水戸東照宮

水戸市宮町に水戸東照宮がある。


水戸東照宮


 元和7年(1621年)、水戸藩の藩祖松平頼房が家康公を祀るため霊松山に創建。

 元禄12年(1699年)、二代藩主 光圀 によって「常磐山」に改められた。

 明和2年(1765年)、白井鳥酔は水戸東照宮に参詣した。

水府城外常盤山 。蒼翠列樹の中を登る、をのつから爰に六根を清む。

神祖廟前

君か代は苔むすさゝれ石の上にかしこまりて、今や海内鼓腹の蒼生に交り樂む我か等蚩等蚩たりといへとも、文運を祈り膝行して退き、折腰して三度秘宮をめくり彫棟畫柱の丹青をつくつくと拜む。まことにたらぬ鳥なき日嶽につゝいて目を驚かすのミ


 明治22年(1889年)4月、 正岡子規 は水戸東照宮を訪れているようである。

 蓋し上市は東京の山の手にて下市は下町の類なり 此谷にそふて左に行けば那珂川は山の下に帶の如く横はり蛇の如く曲折す それを出て新たに堀り割りし道を通り石階を登れば常盤木のおひしげれる中に一ッの廟あり  家康 公を祭りしものにや こゝより路を轉じて水戸公園常盤(ママ)神社に至り左にいづれば數百坪の芝原平垣(ママ)にして毛氈の如し


「一ッの廟」が水戸東照宮であろう。

大正4年(1915年)5月、家康公沒後三百年祭が斎行された。

境内に「雨情生誕百年記念」の碑があった。


その夜

   五月十日銀杏坂なる水戸の権現の祭を見て

七重と八重に 七町を
めぐれ牡丹の 緋のそなた
解いてくだされ 花笠の
花によろしき 人もみた

   花は野に咲く 昼顔の
   紅く燃ゆるは 火の車
   その夜一夜は 燈籠の
   灯影おぽろに 照りもせず

 大正7年(1918年)10月から同9年6月まで雨情 は銀杏坂の「対紅館」に下宿していた。「その夜」は雨情24歳の詩で、70余年埋もれていたそうだ。

1983年5月29日、建立。

水戸市本町1丁目の「ハミングロード」にも雨情の歌碑がある。


四丁目の犬

一丁目の子供
駈け駈け 帰れ

二丁目の子供
泣き泣き 逃げた

四丁目の犬は
足長犬だ

三丁目の角に
こつち向いて居たぞ

昭和62年(1987年)8月、「ハミングロード」のオープン時に除幕。

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