このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
「はせを」の句碑
爰も三河むらさき麦のかき津はた
岡崎市藤川町一里山南の旧東海道沿いに十王堂がある。
十王堂
藤川の十王堂
「十王堂」は、十人の「王」を祀る堂で、その「王」とは、冥土(死者のたましいの行くところ)にいて亡者(死んだ人)の罪を裁く十人の判官をいう。
秦広王 初江王 宗帝王 五官王 閻魔王
変成王 太山王 平等王 都市王 五道転輪王
の総称である。
藤川宿の「十王堂」はいつごろ創建されたかは不明であるが、十王が座る台座の裏に「宝永七庚寅年七月」(1710年)の記年があるので、ここの十王堂の創建はこの年であろうと推測する。
また地元では、忠臣蔵で有名な神崎与五郎に言いがかりをつけた箱根の馬子・丑五郎との伝説を伝えている。
藤川宿町づくり研究会
十王堂の手前右手に大きな「はせを」の句碑があった。
爰も三河むらさき麦のかき津はた
『
俳諧
一葉集』
に「寛文延寶天和年中」の句として収録されているが、
存疑
句。
『芭蕉句鑑』
は「
こゝは三河
」とする。
芭蕉句碑
「芭蕉句碑」は、江戸時代の俳人・松尾芭蕉が詠んだ句を、石に刻んで建てたものである。
「爰
(ここ)
も三河 むらさき麦の かきつはた はせを」
碑の裏に、
「寛政五歳次癸丑冬十月
当国雪門月亭其雄并連中
以高隆山川之石再建」
と、建碑の書誌的事項が彫られている。
この碑の高さは1.65メートル、幅1.07メートル、厚さ0.2メートル。花崗岩の自然石で、この近辺の芭蕉句碑では最大級といわれている。
その傍らに、高さ0.9メートル、幅0.5mメートルほどの自然石が立っている。これも芭蕉句碑で、この碑はもと別の所にあったが、大正初期に現在地に移された。
藤川宿町づくり研究会
小さな芭蕉句碑
爰も三河むらさき麦のかき津はた
「むらさき麦」
藤川宿内に芭蕉句碑が建つ。その句に「むらさき麦」が読み込まれている。この句にちなんで、地元の人たちがむらさき麦を栽培している。毎年5月中旬から下旬にかけて、茎や葉、穂がほのかな紫色にそまるところから、「むらさき麦」と呼んでいる。
藤川郵便局
芭蕉の句碑
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