このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


明ほのやまた朔日に子規

山梨県山梨市小原東に八日市場跡がある。


やまなしの歴史文化公園

日下部の里

八日市場跡


八日市場址由来

 宝永年間(1704年〜1711年)の古絵図によると、南北328mあり中央は幅広く18mで舟形の道路になって、真ん中に道祖神と市神が祭ってある。そして、この神さんの間と両側の道路に店が張られたようで、八日市は1ヵ月に8日ばかり3回開くのが通例となっていた。

 江戸中期に至って甲斐府中(甲府)などより、木綿、魚、薪炭、小間物等一切の日常生活必需品の流通が行われ、経済の要路として一時隆盛を極めた。

 市場には市役、商役を置き日を定めて市場を開設し、税金を取り立てたので日切市ともいわれた。

 しかし座商の商店街にかわるにつれ、衰退の一途をたどり、明治の初年には廃止された。

 現在でも市神、道祖神は場所を変えた舟形の道や両側の溝には水が流れ、家並みの区割りのあとが当時の市場趾を偲ばせる。

八日市場跡に芭蕉の句碑があった。


明ほのやまた朔日に子規

出典は 『芭蕉句選拾遺』

明治16年(1883年)1月、八日市場の俳人安田雷石建立。雷石書。

雷石74歳の時である。

安田漫々 辞世の句碑があった。


ゆふ涼ミ生れかはらば何んに那る

漫々は雷石の父である。

文政13年(1830年)、56歳で没。

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