このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


粟稗に貧しくもあら須艸の庵

名古屋市北区清水に解脱寺という寺がある。


解脱寺


臨済宗妙心寺派 の寺である。

 貞亨5年(1688年)7月20日、芭蕉は 荷兮越人 と共に竹葉軒長虹和尚を訪れて歌仙興行。

粟稗にとぼしくもあらず草の庵
  翁

藪の中より見ゆる青柿
   長虹

秋の雨歩行鵜に出る暮かけて
   荷兮

月なき岨をまがる山あい
   一井

ひだるしと人の申ばひだるさよ
   越人

藁もちよりて屋根葺にけり
   胡及

長虹は「竹夭」と号し、薬師堂を改築して「竹夭庵」と号した。

竹夭庵薬師如来


左側面に「はせを翁遺跡」と刻まれている。

宝永6年(1709年)、「竹夭庵」は解脱寺と改めた。

本堂手前右手に芭蕉の句碑があった。


粟稗に貧しくもあら須艸の庵

出典は 『芭蕉翁發句集』 。「杉の竹葉軒といふ庵を尋ねて」と前書きがある。

文政5年(1822年)10月、建立。

句碑は戦災に遭い、碑陰の建立者名が剥がれ落ちてしまった。

昭和29年(1954年)7月20日、竹葉社副碑建立。

副碑にその名が刻まれている。

芭蕉の句碑 に戻る


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください