このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
うめが香にのつと日の出る山路かな
信濃町野尻の旧北国街道沿いに芭蕉の句碑があるというので、訪ねてみた。
うめが香にのつと日の出る山路かな
元禄7年(1694年)春、芭蕉51歳の句。
『炭俵』
冒頭、
志太野坡
と両吟歌仙の発句である。
碑 陰
痩垣も見所有もの帰りばな
湖元舎 魯堂
むだ歩行
(あるき)
せよ迚扇貰いけり
六如亭 関之
文化13年(1816年)5月22日、
関之
没。
俳人松雄芭蕉の百三十回忌にあたる文政6年(1823年)9月、野尻宿仏心庵前に建立されたもので、信濃町で一番古い句碑です。表面に芭蕉の句、裏面に一茶の門人の魯堂と関之の句があります。野尻宿は俳諧がさかんなところで、多くの一茶門人がいました。魯堂は池田伝九郎といい、伝九郎用水開鑿
(さく)
者の末裔、関之は池田十郎平といって旅籠屋を営んでいました。
文政10年(1827年)11月19日、一茶没。
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