このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「芭蕉句碑」


スポーツパーク川田〜誤伝句碑

沼田市下川田町スポーツパーク川田がある。


スポーツパーク川田に「翁」書かれた句碑があった。


うき草やしかも山田の落し水

『はせをつか』 (楓幻亜編)に収録されている。

運動場南側の擁壁の上にあり、説明もないので「芭蕉」の句碑とは気付かない。

 「芭蕉」の句碑とはいっても誤伝で、 『鳥のみち』 に水田正秀の句として収録されている。

水田正秀 は近江膳所の人。元禄3年(1690年)、芭蕉の門人となる。

 以前は県道沿いにあったようだが、昭和50年に川田運動広場が造成され、現在地に移転したそうだ。

 県内芭蕉塚に多い疑問句から一躍してこれは明かに誤伝といわれている非芭蕉句が、沼田市下川田町字宮塚部落を北へ出外れた、数枚の山田と雑木林との接触線に立っている。縦2尺7寸、横7寸の平凡な川原石で紀年も建立者(烏白)の名もなくその上コケが深くてほとんど読めない。それでも村の衆は正直で隣合いの道祖神並みに正月が来れば松や繭玉が供えてある。元々「鳥の道」の中の正秀の句を「蕉句後拾遺」が誤り拾ったもの。

『上毛芭蕉塚』(本多夏彦著)

安永3年(1774年)1月、 『蕉句後拾遺』 (康工編)。

 『泊船集』(風国編)、『芭蕉句選』(華省編)、『芭蕉句選拾遺』(寛治編)にもれた芭蕉の句を収録。

スポーツパーク川田から沼田公園が見える。


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