このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


観音の甍見やりつ花の雲

甲斐大和から国道20号を歩いて勝沼に向かう。


 甲州市大和町鶴瀬の立合橋の測道を渡ると、「史跡 甲州道中 鶴瀬関所跡」の標柱があった。


 甲州12関の1つ、この関は「鶴瀬の口留番所」といわれ主に物資の流通の 警戒と、「入鉄砲に出女」を取り締まった関所です。

国道20号に出ると、「甲州道中 鶴瀬宿」の標柱があった。


江戸より第31宿
   江戸へ30里27丁
   甲府へ5里1町

宿高109石6斗7升5合、本陣1、脇本陣2
旅籠屋4軒、問屋1軒、宿内家数58軒

「鶴瀬地区」と書かれた石は甲州鞍馬石であろう。

 甲州市大和町の鶴瀬・初鹿野地区は、古くから甲州鞍馬石の産地の産地として知られているそうだ。

甲州市大和町共和にある観音隧道の西側に「長垣の吊り橋」がある。


「長垣の吊り橋」は日川をこえ横吹と長垣を結んでいたが、現在は通行止め。

橋のたもとに芭蕉の句碑があった。


観音の甍見やりつ花の雲

出典は『末若葉』( 其角 編)。

貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。

明治23年(1890年)9月、建立。

左側面に「松風に添ふ川音の時雨哉」の句が刻まれている。

一茶の句とされるが、一茶の句には見当たらない。

観音隧道の東側に観音山がある。

観音山に観音堂があった。


観音堂に明治29年(1896年)奉納の俳額があった。


明治20年(1887年)奉納の俳額もあるそうだが、気付かなかった。

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