このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
もの一我がよはかろきひさご哉
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
鹿児島市宇宿5丁目に川澄宅がある。
川澄宅に芭蕉の句碑があった。
もの一我がよはかろきひさご哉
旅姿芭蕉
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
「
もの一我がよはかろきひさご哉
」の出典は
『あつめ句』
。貞亨3年(1686年)の句。
瓢の銘
山素
堂
一瓢重黛山
(一瓢は黛山よりも重く)
自笑称箕山
(自笑箕山と称す)
莫慣首陽餓
(首陽の餓に慣ふことなかれ)
這中飯顆山
(這の中に飯顆山)
顔公の垣穂におへるかたみにもあらず、恵子がつたふ種にしもあらで、我にひとつのひさごあり。是をたくみにつけて花入るゝ器にせむとすれば、大にしてのりにあたらず。さゝえ
(竹筒)
に作りてさけをもらむとすればかたちみる所なし。あるひとのいはく、「草庵のいみじき糧入るべきものなり」と。まことによもぎのこゝろあるかな。やがてもちゐて隠士素翁に乞ふ
(う)
てこれが名を得さしむ。そのことばは右にしるす。其句みなやまをもて送らるゝがゆへ
(ゑ)
に四山とよぶ。中にも飯顆山は、老杜のすめる地にして李白がたはぶれの句あり。素翁りはく
(李白)
にかはりて、我貧をきよくせむとす。かつ、むなしきときはちりの器となれ。得る時は一壺も千金をいだきて黛山もかろしとせむことしかり。
ものひとつ瓢はかろきわが世かな
芭蕉桃青書
「
旅に病で夢は枯野をかけ廻る
」の出典は
『笈日記』
。「病中吟」と前書きがある。
元禄7年(1694年)10月8日、大坂
南御堂
前花屋仁右衛門宅で詠まれた句。「絶筆句」とされる。
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