このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
しくるゝや田のあら株のくろむほと
松山市三津の国道437号沿いに恵美須神社(美穂神社)がある。
恵美須神社(美穂神社)の先の交差点に「大原其戎居宅の跡」があった。
此処より北北東75m 石崎汽船(株)ビル眞裏
其戎宗匠は子規の俳諧の師で俳誌『真砂の志良辺』を発行した。
子規
は極堂とともに明治20年夏ここに訪問し教を受けた。
「花之本大神」の碑
右側面に其戎の句が刻まれている。
左に「芭蕉翁塚」の碑がある。
左側面に芭蕉の句が刻まれている。
花之本大神
敬へはなほもたゝしや花明り
大原其戎
花の本大神とは、芭蕉を敬い讃えたことばで、其戎の高弟森連甫がこの芭蕉塚の由来を記している。
芭蕉翁塚
(あら株塚)
しくるゝや田のあら株のくろむほと
松尾芭蕉
この芭蕉翁塚は「あら株塚」とよばれ、この句は、元禄3年(1689年)頃の芭蕉の作で「旧里の道すがら」の前書きがある。万延元年(1860年)大原其戎が大可賀小松原に建立したもの。
この2基はもと恵美須神社(美穂神社)に建立されていたもの。
松山市教育委員会
俳句の里 城北コース⑥
75m歩いて、石崎汽船(株)ビルへ。
旧石崎汽船本社
国登録文化財
(建造物)である。
三津浜埠頭にそびえる洋風の巨閣
このビルを手掛けた木子七郎の作品には、「愛媛県庁舎」や「萬翠荘」などがあります。このビルは鉄筋コンクリート造り地下1階地上2階建て一部3階建て、屋上も造られました。大正13年11月、新社屋の上棟式がバルコニーで挙行され、600人群衆が詰めかけました。時に石崎汽船の初代社長、石崎兵太郎64歳でした。経営的苦難を乗り越えた兵太郎にとって、感慨無量の心地であったことでしょう。
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