このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


古廼毛登巴之流文膾母古空良哉

鳴門市撫養町南浜字蛭子前西の撫養街道沿いに事代主神社がある。



社殿の右手に「桜塚」があった。


古廼毛登巴之流文膾母古空良哉
木の下は汁も膾も桜かな

表記の一部を変更している。

出典は 『蕉翁句集』

『ひさご』は「木のもとに」とする。

元禄3年(1690年)3月2日、伊賀上野風麦亭の歌仙の発句。

文政8年(1825年)冬、五代当主里見平兵衛建立。

里見平兵衛は南浜の御銀主。俳号千子。

 以前は南浜村と斎田村の間の四軒屋町に戎神社があり、そこに「桜塚」があったようだ。

「桜塚」の左に千化の句碑があった。


白雪やつもれはつもる色もなし

千化は千子の子。

 文政9年(1826年)3月、千化は「出て見れば春盤桜の名成けり」の句碑を建立したようである。

嘉永3年(1850年)10月、七代当主里見平兵衛建立。通称清民。

平成16年(2004年)7月、十一代当主里見充實再建。

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