このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
梅の香にのつと日の出る山路かな
飯田市今宮町に円山公民館がある。
円山公民館の右手に芭蕉の句碑があった。
梅の香にのつと日の出る山路かな
元禄7年(1694年)春、芭蕉51歳の句。
『炭俵』
冒頭、
志太野坡
と両吟歌仙の発句である。
松尾芭蕉句碑
この句は、余寒が頬に冷たい明け方の山路を歩いていると、どこからともなく馥郁とした梅の香が漂ってきた。すると、その香に誘われたように、真っ赤な大きな太陽が目の前にいきなり姿を現し、辺りがぱっと明るい光に包まれたというのです。
早春の山路で、朝日の昇る感動の一瞬が、ふだんの生活であたりまえに使われて言葉「のつと」によってみごとに描き出されています。新鮮な情趣を日常生活の中にとらえようとした、芭蕉晩年の境地が最もよく現れた『炭俵』 の巻頭を飾る名句です。
松尾芭蕉は、正保元年(1644年)伊賀上野(三重県上野市)に生まれました。江戸時代を代表する俳人で、生涯句吟の旅を住処
(すみか)
とし、元禄7年(1694年)旅先の大阪で永逝。51歳の生涯でした。『俳諧七部集』『奥の細道』他多数の作品集が残されています。
この句碑は、明治26年(1893年)10月、芭蕉二百回忌を記念して、阿智村駒場
浄久寺
の住職武川有無香が主宰していた俳諧結社「信南真
(まこと)
連」が建立。変体仮名混じりの書は有無香の兄で、砂払の
阿弥陀寺
十五代住職安静梅好です。
ふるさと文学碑研究会 撰
郊 戸 八 幡 宮 建
寛永21年(1644年)12月16日、正保に改元。
2004年11月1日、上野市は阿山郡及び名賀郡の3町2村と合併し伊賀市となった。
芭蕉の句碑の隣に
山頭火の句碑
があった。
芭蕉の句碑
に戻る。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください