このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
惟然と芭蕉の連句碑
その葉を笠に折らむ夕顔
関市若草通に関市立図書館がある。
関市立図書館の中庭に惟然と芭蕉の連句碑があった。
みせばやな茄子をちぎる軒の畑
惟然
その葉を笠に折らむ夕顔
芭蕉
『笈日記』
(京 都)に収録されている。
貧 讃
いにしへより富めるものは世のわざも多しとやらん、老夫ここ安櫻山に隱れて、食はず貧樂の諺にあそぶに、地は本より山畑にして茄子に宜しく夕顔に宜し。今は十とせも先ならむ、芭蕉の翁の美濃行脚に、見せばやな茄子をちぎる軒の畑、と招隱のこころを申遣したるに、その葉を笠に折らむ夕顔、とその文の囘答ながら、それを繪にかきてたびけるが、今更草庵の記念となして、猶はた茄子夕顔に培ひて、その貧樂にあそぶなりけり。さて我山の東西は木曾伊吹をいただきて、郡上川其間に横ふ。ある日は晴好雨奇の吟に遊び、ある夜は經風淡月の情を蓋して、狐たぬきとも枕を並べてむ、いはずや道を學ぶ人はまづ唯貧を學ぶべしと、世にまた貧を學ぶ人あらば、はやく我が會下に來りて手鍋の功を積むべし。日用を消さむに、輕行靜座もきらひなくば、薪を拾ひ水を汲めとなむ。
『惟然坊句文集』
芭蕉の真蹟の写しと推定される懐紙に依って作成された。
広瀬惟然
は関出自の蕉門の俳人。
貞享5年(1688年)、松尾芭蕉美濃行脚のおりに
みせばやな茄子をちぎる軒の畑
と関への招隠のこころを伝えた。
その葉を笠に折らむ夕顔
と答え、惟然の情を受けとめた画賛を手渡した。
惟然は、師芭蕉が逝去するにいたるまで仕え、没後は風羅念仏を編み出し、師の遺徳を全国に広めることにつとめた。
其角手跡の一軸もあったようだ。
○関 広瀬宇左衛門宗麟 家ニ一軸あり。翁の茄子画ニ 見せはやな茄子をちきる軒の畑 素牛 脇ハ翁 其葉を笠に折ん夕顔 手跡ハ其角
『祖餞』
芭蕉の句碑
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