このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


麥の穗や涙に染て鳴雲雀

宮崎市吉村町に正光観音御堂がある。


正光観音御堂


 「せっかく、力んで観音経を覚えたというとに、おれの嫁女は姿も見せんが」
 漁師はそう思いながらも、魚籃の観音像を担いで村へ帰った。観音像たちまち村の評判になった。
 「あれが魚籃の観音さまじゃげな」
 「うん、網に掛かったかい、網掛観音じゃわい」
 「観音さまじゃかい、お寺にあげにゃいかん」
 そこで漁師はこの観音像を法寿山正光寺に、まつることにした。

 漁師はのちのち、那珂郡の長者清水四十右衛門とよばれる、幸福な身分になった。そして、魚籃の観音は、いまなお宮崎市浮之城の正光寺の観音堂にまつられている。

『日本の民話』「魚籃の観音」

現在、「浮之城の正光寺」はない。

正光観音御堂に芭蕉の句碑があった。


麥の穗や涙に染て鳴雲雀

出典は 『嵯峨日記』

元禄4年(1691年)4月23日に詠まれた句。

安永9年(1780年)7月、建立。

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