このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


梅香にのつと日の出る山路かな

 大田区多摩川2丁目の斎藤製作所に芭蕉の句碑があるというので、行ってみた。

折しも昼休みのせいか留守だったので、暫く 多摩川大橋緑地 へ。

多摩川


 昼休みが終わった頃をみはからって、再び斎藤ツヰストドリル製作所を訪ねると、芭蕉の句碑はどこか近くの公園に移転したとのこと。

 大田区新蒲田1丁目の区民センターに行って尋ねると、句碑は多摩川2丁目児童公園にあるようだとのこと。

あらためてやって来るのも大変なので、再び多摩川2丁目に行く。


確かに芭蕉の句碑は多摩川2丁目児童公園にあった。


梅香にのつと日の出る山路かな

元禄7年(1694年)の春、芭蕉51歳。

『炭俵』 冒頭、 志太野坡 と両吟歌仙の句。

むめがゝにのつと日の出る山路かな
   芭蕉

   處々に雉子の啼たつ
   野坡

十七年春三月日 幸島桂花 拝書」とある。

明治17年(1884年)3月、建立。

 幸島桂花は遠江の人。日本橋室町の算盤商。桂花園。俳諧を甘雨亭介我に学ぶ。

明治32年(1899年)6月16日、70歳で没。

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