このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
降らすとも竹植うる日は蓑と笠
登米市登米町寺池道場に
登米神社
(HP)がある。
康平5年(1064年)、
源義家
が石清水八幡宮を辺室山に勧請。後世、その地を八幡崎と呼んだ。
慶長11年(1606年)、八幡崎から寺池道場山麓に遷座。
明治6年(1873年)、稲荷神社を合祀。
昭和27年(1894年)11月、登米神社と改められた。
登米神社の石段
石段を登ると、芭蕉の句碑があった。
降らすとも竹植うる日は蓑と笠
出典は
『笈日記』
(大垣部)。「
竹 木因亭
」と前書きがある。
元禄5年以降の句とされる。
芭蕉翁が元禄2年、おくのほそ道行脚の折、登米に一宿したことを記念して、明和7年(1770年)5月13日に当時の寺池の里、一宿庵社中の俳人10名が建立したものである。
なおこの地の八幡境内に「降らずとも竹植うる日は蓑と笠」の句碑を建てておるが、これは芭蕉が五月十三日ここに来たというのに附会したので、句はこの地で読んだのではない。
『三千里』
元禄2年(1689年)5月11日、芭蕉は石巻を立ち、平泉へ赴こうと北上川沿いに登米へ至り、その夜は登米で宿泊した。『奥の細道』に「
十二日平泉と心ざし
」、その翌日「
戸伊摩と云所に一宿して
」とあり、13日に登米で宿泊したと考えられていた。
随身門
登米神社社殿
芭蕉の句碑
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