このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
早稲の香や分け入る右は有磯海
北陸自動車道に有磯海SAがある。
富山湾は万葉のころから〝有磯〟と呼ばれ、春には蜃気楼やホタルイカ群遊も望見できるロマンの海でもある。
その海を一望できる景勝の地、魚津市湯上と滑川市松ヶ窪に建設したサービスエリアを国文学者池田彌三郎先生の勧めもあり、有磯海と命名した。
昭和59年4月
日本道路公団
那古は、富山県新湊市海岸の歌枕。
あゆの風いたく吹くらし奈呉の海人の釣りする小舟こぎ隠るみゆ 大伴家持
『万葉集』(巻十七)
元禄2年(1689年)7月14日(陽暦8月28日)、芭蕉は
高岡
に宿を取った。
くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古と云浦に出。
有磯海SA(上り線)には芭蕉の句碑があった。
早稲の香や分け入る右は有磯海
(ありそうみ)
擔篭
(たこ)
の藤浪は春ならずとも、初秋の哀とふべきものをと人に尋れば、是より五里いそ伝ひして、むかふの山陰にいり、蜑
(あま)
の苫
(とま)
ぶきかすかなれば、蘆の一夜の宿かすものあるまじといひをどされて、かゞの国に入。 わせの香や分入右は有磯海
北陸自動車道上り線の
有磯海SA
にも此の句の碑がある。
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