このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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牧水歌碑

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八幡宮

五所川原市元町の岩木川沿いに八幡宮がある。


八幡宮


八幡宮由来

 ここの御神体は、その昔中津軽郡五所の長慶天皇が崩御大葬されたという場所に祠られてあったが、洪水にあい、ここ元町の岩木川原に流れ着いたものである。

 柳の大木にひっかかっているのを発見した新宮の人が拾いあげ宅地内に祠ったが、やがて五所村の人達が探しあててもらいうけて行った。ところが再三流れては不思議に同じ場所に着いたので、これは神様の思召しによるものだと五所村の人達も認め、以来この地に祠ることにしたと伝えられている。

 その年代は明らかではないが、万治3年(1660年)の頃と考えられている。御神体は門外不出であるが、誉田別命(応神天皇)という。

 なお、五所川原の地名の由来は、このことによるとの一説がある。

長慶天皇は、南北朝時代の第98代天皇。

南部煎餅の祖とする伝承もあるそうだ。

嘉永5年(1852)3月3日、吉田松陰は五所川原に至る。

三日  晴。藤崎を發す。板柳・鶴田を經て五所川原に至る。此れより金木を經て中里に至る、是れを本道と爲す。土人の誤る所となり赤堀に至る。


八幡宮の裏に 若山牧水 の歌碑があった。


橇の鈴戸の面にきこゆ旅なれや津軽のくにの春のあけほの

ひつそりと馬のり入るる津かる野の五所川原まちはゆきをやみせり

第9歌集『朝の歌』に収録されている歌である。

大正5年3月牧水当町来遊の折詠みし歌

   橇の鈴戸の面にきこゆ旅なれや

      津軽のくにの春のあけほの(牧水真筆)

   ひつそりと馬のり入るる津軽野の

      五所川原町は雪小止みせり(山蘭書)

大正15年11月牧水再度当町来訪

      昭和27年11月3日

五所川原牧水会

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