このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

牧水歌碑

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永井宿郷土館

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 みなかみ町の国道17号(三国街道)から吹路で法師温泉に向かう道を行き、細い道を登ると左手に永井宿郷土館がある。


永井宿郷土館


永井宿郷土館に若山牧水の歌碑があった。


「山村折々」のうち永井村

山かげは日暮れ早きに学校のまだ終らぬか本読む声す

 第14歌集『山桜の歌』に収録されている歌で、「ありとしも思はれぬ処に五戸十戸ほどの村ありてそれぞれに学校を設け子供たちに物教へたり。」と詞書がある。

歌人若山牧水は「みなかみ紀行」の旅の途中、沼田から法師温泉に向うとき、ここでこの歌を作った。永井分校閉校に際してこの碑を建てて記念する。

 昭和54年3月29日

新治村教育委員会
牧水歌碑建設委員会

大悟法利雄は『牧水歌碑めぐり』によれば、全国で82番目の牧水碑である。

 大正11年(1922年)10月22日、 若山牧水法師温泉 を訪れた。途中で日が暮れかかり、歌を詠むどころではなかったようである。

 吹路(ふくろ)といふ急坂を登り切つた頃から日は漸く暮れかけた。 風の寒い山腹をひた急ぎに急いでゐると、をりをり路ばたの畑で稗や粟を刈つてゐる人を見た。 この邊では斯ういふものしか出來ぬのださうである。從つて百姓たちの常食も大概これに限られてゐるといふ。かすかな夕日を受けて咲いてゐる煙草の花も眼についた。小走りに走つて急いだのであつたが、終(つひ)に全く暮れてしまつた。山の中の一すぢ路を三人引つ添うて這ふ樣にして辿つた。そして、峰々の上の夕空に星が輝き、相迫つた峽間(はざま)の奧の闇の深い中に温泉宿の燈影を見出した時は、三人は思はず大きな聲を上げたのであつた。

 2005年10月1日、新治村は月夜野町、水上町と合併し、みなかみ町となった。

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