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私の旅日記
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2013年
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神崎神社
〜「なんじゃもんじゃの木」〜
神崎町神崎本宿の高台に神崎神社がある。
参道に寺田憲の歌碑があった。
新酒のかをりよろしも我醸みしこの新酒のかをりよろしも
咲く花の香取とふ酒くむ人は憂をとはに忘れてあるべし
右二首寺田憲歌集『利根川』所収
碑 陰
寺田憲
飯田家より入りて寺田家第二十代を承く。
佐佐木信綱
に學び長塚節・
伊藤左千夫
との親交は遍く人の知る所也。今遺詠を彫りて留むる者は第二十二代欣一・妻律両人。
昭和53年10月
受恩後生土屋文明 謹識
寺田憲は知らなかった。
寺田憲はアララギ派の歌人で、
土屋文明
の学資を援助したそうだ。
神崎神社
白鳳時代に大浦沼二つ塚より現在の地に遷座し、明治6年に郷社、大正10年県社に昇格しました。7000坪あまりの境内は「神崎の森」と呼ばれ、全域が県の天然記念物に指定されています。また、本殿脇には国指定天然記念物の「なんじゃもんじゃの木」があります。御祭神は天鳥船命
(あめのとりふねのみこと)
、少彦名命
(すくなひこなのみこと)
、大己貴命(おおなむちのみこと)
、面足命
(おもだるのみこと)
、惶根命
(かしこねのみこと)
であり、交通・産業守護の神として深く信仰されています。
「なんじゃもんじゃの木」
国指定天然記念物神崎の大クス
古来、ナンジャモンジャの木といわれ、「利根川図志」・「牧野富太郎科学随筆集」などでも紹介されてきたクスの木の巨木である。 延宝2年(1674)4年、水戸光圀公当社参詣の折、「この木は何というもんじゃろうか」と自問し、感嘆されたという。それ以来、この御神木は、「ナンジャモンジャ」の名をもって広く知れ渡っている。
主幹は明治40年に火災で焼け、高さ7mほどで切断されているが、そのひこばえがよく育ち、樹高20m以上に達している。
徳川光圀
は参勤交代の折に下総神崎神社に参拝、社殿の御神木を「この木はナンジヤ」と問うと、家臣も名を知らず、とっさに「モンジャ」と答えたと言われているそうだ。
文政8年(1825年)6月29日、
渡辺崋山
は江戸を発し、両総常武の地に遊ぶ。
謁
二
河嵜明神
一
祠神ハ□。有
二
神木
一
ナンジヤモンジヤト云。蓋水戸義公所
レ
号。河嵜明神岡阜上ニアリ、阜皆盤石、其石沙ノ凝モノ也。
『四州真景』
「水戸義公」は徳川光圀。
安政5年(1858年)3月23日、赤松宗旦は神崎明神に参詣している。
神崎河岸へ揚り、真壁屋
彦兵衛へ立寄。
神崎明神参詣。
神木 ナンジャモンジャ
『銚子日記』
神崎町並木に神崎神社の別当寺
神宮寺
がある。
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