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私の旅日記2004年

志賀直哉邸跡
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我孫子に志賀直哉邸跡があるというので、行ってみた。


 手賀沼公園の前から細い路地に入ると、 白樺文学館 の向かいに志賀直哉邸跡があった。

志賀直哉邸跡


 志賀直哉邸にしてはずいぶん小さい家だと思ったら、離れの書斎だった。母屋は書斎の10倍くらいの広さがあったようだ。

 この地は志賀直哉のいた当時、我孫子雁明(がんみょう)であったが、弁天山と呼ばれた。

『暗夜行路』と『和解』

 小説家 志賀直哉 は大正4年(1915年)から大正12年(1923年)春まで我孫子にいた。30歳代である。「白樺」派の武者小路実篤や柳宗悦も当時手賀沼辺りで暮らしている。

志賀直哉夫人は、武者小路実篤のいとこ康子である。

 「小説の神様」といわれた志賀の生涯には「反抗と葛藤、和解と調和、静かな創作」の時代がある。我孫子時代は「和解と調和」の時代に当たり、多年の父との不和を解いて名作『和解』を我孫子で一気に書き上げた。

 志賀は手賀沼辺りで多くの作品を残している。代表作の『暗夜行路』は長編で、完成まで17年の歳月を要したが、前編は我孫子時代に執筆された。

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