このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2005年
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東漸寺
〜玉屋(小金宿の旅篭)〜
本土寺
から北小金駅に戻る。
北小金駅南口の松戸市北小金支所で地図を貰う。
地図を手にしてJR武蔵野線新松戸駅に向かって歩くと、
東漸寺
(HP)があったので立ち寄る。
東漸寺の夕陽
東漸寺の森に夕陽が沈む。
東漸寺本堂
浄土宗
の寺である。
東漸寺山門
東漸寺
文明13年(1481年)、根木内に開かれる高城氏と深いつながりを持ち、高城氏が小金へ移転した天文6年、同時に移転した。
関東十八檀林
にも加えられ、多くの文化財も所蔵しています。
東漸寺から国道6号(水戸街道)に向かって歩く。
一月寺の手前に「玉屋(小金宿の旅篭)」という松戸市教育委員会の案内があった。
玉屋(小金宿の旅篭)
松戸北ロータリークラブの説明が書いてある。
鈴木家
此処の街道は水戸街道で有名であるが、成田街道でもあり、旅籠が多く、鈴木家は代々惣右衛門を名乗り、玉屋の屋号で徳川時代後期の旅籠の原形を留めている。
少しおかしな文だ。
国道6号(
水戸街道
)は我孫子で国道356号と分かれる。国道356号が成田街道である。
当時の小金では、鈴木、月見里、綿貫、湯浅、芦田、安蒜、大熊が役職に従事していたが、未だ姓は現存している。
松戸北ロータリークラブ
天明元年(1781年)4月24日、大島蓼太は杉野翠兄に招かれて龍ヶ崎に旅立ち、小金の宿に泊る。
今宵はつかれて小金の宿藤屋某かもとに泊る。かねて杉野氏より消息ありけるとて、あるし立出て夕餉の器いときよけにもてなし侍れはこゝろゆくまてに臥ぬ。
『筑波紀行』
文化元年(1804年)10月12日、小林一茶は
本土寺
の「翁会」に参加した。
十二日 晴 小金 翁会 布川二入
芭蕉忌に先つゝがなし菊の花
『文化句帖』(文化元年10月)
文化4年(1807年)2月25日、一茶は小金に入る。
廿五日 晴 申刻地震 木下川通曲り金矢切渡シ小金ニ入
『文化句帖』(文化4年2月)
嘉永4年(1851年)12月15日、吉田松陰は小金宿へ。
十五日 晴 辰時、寺を出づ。行くこと三里、小金驛と爲す。驛を過ぐれば廣原漫々たり、即ち小金原にして幕府の操場なり。野馬九匹を見る。
『東北遊日記』
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