このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

繁多寺〜一遍上人〜
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松山市畑寺町に繁多寺という寺がある。

繁多寺山門


  四国八十八ヶ所 50番札所で、本尊は薬師如来である。

 寺伝によると、孝謙天皇の勅願により、天平勝宝年間(749〜756)に僧 行基 が開創したという。このとき、天皇から数流の旛を賜ったので「旛多寺」から「繁多寺」と呼ばれるようになり、「畑寺」の地名も生まれたという。

 『一遍聖絵』によると、正応元年(1288年)、一遍上人が最後の遊行に出る前に大宝寺や岩屋寺を巡拝して当寺に3日間参籠し、そのとき、亡父如仏の追善のために三部経を奉納した。

 応永元年(1394年)、後小松天皇の綸旨を受けて京都の泉湧寺から、当山第七世住職となる快翁宗師が下向し、以後多くの高僧が来往した。盛時には末院が120か寺に及んだという。

 当時の梵鐘は元禄9年(1696年)の銘があり、あらゆる階層の人々百人の寄進によって造られた寺宝である。また、徳川将軍家綱の念持仏であったという大聖歓喜天を祀っている。

松山市教育委員会

繁多寺本堂


真言宗豊山派 の寺である。

細い道だが観光バスがやってきた。



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