このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

南光坊〜今治市戦災の碑〜
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今治市別宮町に南光坊という寺がある。

昭和20年(1945年)8月、空襲により大師堂と金比羅堂を残して罹災した。

南光坊山門


平成10年(1998年)、再建。

平成14年(2002年)、四天王像を安置。

四国八十八箇所霊場 第55番札所である。

本堂の手前に芭蕉の句碑があった。


ものいへは唇寒し秋の風

出典は 『芭蕉庵小文庫』 (史邦編)。

貞亨元年から元禄年間の句。

『蕉翁句集』 (土芳編)は「元禄四未ノとし」とする。

別宮山南光坊


真言宗 醍醐派の寺である。

山門の右手に「今治市戦災の碑」があった。


 今治市は、太平洋戦争末期昭和20年(194年5)、米軍の大型爆撃機B29により、3度にわたり空襲を受け、市民をはじめ県内外からの動員学徒など愛媛県下で最も多くの人達が犠牲となった。

 戦災・終戦から63年が経過し、この歴史的試練が風化しつつある今日、ここに今治市における戦災の記録を残し、戦争の惨禍を後世に伝えるとともに、あわせて犠牲者を追悼し、永久の平和を祈念するため、戦災市街地のこの地に、戦災の碑を建立する。



第1回空襲・・4月26日

 死者68名・重傷者34名
 全壊家屋41戸・半壊63戸

第2回空襲・・5月8日

 死者29名・重傷者4名
 全壊家屋43戸・半壊98戸

第3回空襲・・8月5〜6日

 死者454名以上・重傷者150名以上
 8212戸全焼・34200名以上罹災

   平成20年(2008年)3月

今 治 市 戦 災 遺 族 会
今治市の戦災を記録する会

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