このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

福島八幡宮〜貫嵐の句碑〜
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八女市本町105に福島八幡宮がある。

福島八幡宮門前の本町筋に旧福州銀行跡小公園がある。

旧福州銀行跡小公園に貫嵐の句碑があった。


壊れと積れと春の深雪哉

 平成17年(2005年)春分の日、八女・本町筋を愛する会10周年記念に建立。

くずれどつもれどはるのみゆきかな

橘雪庵貫嵐 1733—1795

八女市(旧福島町)出身。本名松延甚左衛門。四代目福島組大庄屋。人形浄瑠璃作者「八女・福島の燈籠人形」中興の功労者。八女地方の俳祖。

碑文字は自筆短冊を拡大模刻

福島八幡宮


寛文12年(1672年)8月、松延四郎兵衛は八幡宮神殿を完成。

天和元年(1681年)、八幡宮拝殿を完成、後八幡宮に寄付した。

偉大な文化人 松延貫嵐

 享保18年(1733年)紺屋町に生まれた。名は甚左衛門。この神社を創建した松延四郎兵衛の子孫で四代目福島組大庄屋。

 のち出奔して、大阪で福松藤助と名乗り豊竹座の人形じょうるり作者の筆頭となる。

 晩年帰郷し、カラクリを使って初めて人形を動かし、民族芸能「八女福島の燈籠人形の基礎をつくる。

 神社近くの梅月庵に住み、医者・俳人としても活躍した。

寛政8年(1796年)没。

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